簡単日本史|第8章|鎌倉時代・第1段階

⚔️ 鎌倉時代①

土地を守る武士たちが、国の政治を動かし始めた!

1185・1192・1221・1232年/幕府のしくみ
① まず読む・約3分

どうして貴族から武士の時代に変わったの?

平安時代の終わり、地方で土地を守っていた武士が強くなった。
「都の貴族に任せるだけじゃ、自分たちの土地を守れない!」──武士たちは仲間をまとめるリーダーを必要とした。

🏯 なぜ「鎌倉」なの?

源頼朝(みなもとのよりとも)は東国の武士たちをまとめ、京都から離れた鎌倉(今の神奈川県)を拠点にした。天皇や貴族のいる京都とは別に、武士を中心とした政治が力を持つようになる。

1185年? 1192年? 両方覚えよう。
1185年は守護・地頭を置くことを認められ、武士の政治のしくみが整った節目。1192年は頼朝が征夷大将軍になった年。幕府の成立を一つの年だけで説明するのは難しいため、何が起きたかをセットで理解しよう。
1185
壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡。頼朝は朝廷から守護・地頭を置くことを認められ、武士の政治のしくみを整える。
1192
源頼朝が征夷大将軍になる。鎌倉を中心に武士による政治を進めた。
1219
3代将軍源実朝が殺され、源氏の将軍は3代で終わった。その後は北条氏が執権として政治の実権を握る。
1221
承久の乱。後鳥羽上皇が幕府を倒そうとするが、幕府が勝利。朝廷を見張る役割などのため、京都に六波羅探題を置く。
1232
執権北条泰時が御成敗式目を制定。武士の土地争いなどを公平に解決するための基本的な決まりをまとめる。
② 仕組みを理解・約3分

御恩と奉公・守護と地頭は、どう違う?

🎁 御恩(ごおん)

将軍が御家人(家来の武士)に、土地を守る権利を認めたり、新しい土地を与えたりすること。

🛡️ 奉公(ほうこう)

御家人が将軍のために、戦いに参加したり、京都や鎌倉の警備をしたりすること。

ポイント:「将軍は土地を守ってくれる」「御家人は戦って支える」。このおたがいの約束が幕府を支えた。
役職どこで・何をした?覚え方
守護(しゅご)国ごとに置かれ、軍事・警察などの仕事を担当した。守る=警備
地頭(じとう)荘園や公領に置かれ、年貢の取り立てや土地の管理などをした。地元の土地を管理

※ 守護・地頭は朝廷の役人がすべていなくなったという意味ではない。貴族・寺社が持つ荘園の権利と、武士の現地での力は重なり合っていた。

③ 人物と政治・約2分

頼朝のあと、北条氏がなぜ力を持ったの?

👩 北条政子──「尼将軍」と呼ばれた人

源頼朝の妻。頼朝の死後も幕府を支え、承久の乱では御家人たちに結束を呼びかけた。将軍に任命されたわけではないが、尼将軍と呼ばれるほど大きな影響力があった。

⚖️ 北条氏の執権政治

執権(しっけん)はもともと将軍を助ける役職。北条氏はここから幕府の政治を主導した。北条義時は承久の乱に対応し、北条泰時は1232年に御成敗式目(ごせいばいしきもく)を作った。

④ 完成ノートを写す・約4分

大切なことだけ、紙に整理しよう

📓 完成ノート見本|鎌倉① 武士の政治ができる|日付__月__日
鎌倉① 武士の政治ができる
① 平安時代の終わり:地方の武士が成長。源頼朝が東国の武士をまとめる。
② 1185年:守護・地頭を置くことを認められる。1192年:頼朝が征夷大将軍になる。
③ 幕府と御家人:御恩=土地を守る・与える/奉公=戦う・警備する。
④ 北条氏が執権として政治を動かす。北条政子は「尼将軍」。
⑤ 1221年 承久の乱:後鳥羽上皇が敗れ、六波羅探題が置かれる。
⑥ 1232年 御成敗式目:北条泰時が武士のルールを作る。
⑤ 紙で再現・約5分

ノートを閉じて説明できるかな?

✏️ 1. 「なぜ武士の政治が始まったか」を「地方」「土地」「源頼朝」の3語で説明しよう。

まず紙に書こう。ノートの見本を見ずにできるかな?

書き終わったら答えを見る
例:地方では土地を守る武士の力が強まり、源頼朝が東国の武士をまとめて政治のしくみを作った。
✏️ 2. 「御恩」と「奉公」を、将軍と御家人の関係がわかる2つの箱にして書こう。

まず紙に書こう。ノートの見本を見ずにできるかな?

書き終わったら答えを見る
将軍:土地を守る・与える【御恩】
↕ おたがいに支える
御家人:戦う・警備する【奉公】
✏️ 3. 守護と地頭を表にして、それぞれの役目を1行で書こう。

まず紙に書こう。ノートの見本を見ずにできるかな?

書き終わったら答えを見る
役職役目
守護国ごとの軍事・警察
地頭荘園・公領での土地管理や年貢徴収
✏️ 4. 「承久の乱 → 六波羅探題」と「北条泰時 → 御成敗式目」がどうつながるか、文章で説明しよう。

まず紙に書こう。ノートの見本を見ずにできるかな?

書き終わったら答えを見る
例:承久の乱では幕府が後鳥羽上皇側に勝ち、京都に六波羅探題を置いた。その後、北条泰時は武士の争いを裁く基準として御成敗式目を制定した。
⑥ 3秒暗記・約3分

口で答えてから、紙に書こう

🧠 鎌倉を拠点に武士をまとめた人物は?
紙に書けたら答えを見る
源頼朝
🧠 1185年に幕府が置くことを認められた二つの役職は?
紙に書けたら答えを見る
守護と地頭
🧠 1192年に頼朝が任じられた役職は?
紙に書けたら答えを見る
征夷大将軍
🧠 将軍が御家人の土地を守ったり与えたりすることは?
紙に書けたら答えを見る
御恩
🧠 御家人が将軍のために戦い、警備することは?
紙に書けたら答えを見る
奉公
🧠 源頼朝の妻で「尼将軍」と呼ばれた人物は?
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北条政子
🧠 1221年に後鳥羽上皇が幕府と争った事件は?
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承久の乱
🧠 1232年、御成敗式目を制定した執権は?
紙に書けたら答えを見る
北条泰時
⑦ 選ぶクイズ・約5分

間違いも知識に変えよう

まず頭の中で答えを決めてからタップ。まちがえた選択肢にも「それは何か」の解説が出るよ。

1. 1185年の出来事として正しいものは?
2. 土地を守ってもらった御家人が、戦いで将軍を支えることを何という?
3. 鎌倉幕府の「守護」が主に担当した仕事は?
4. 鎌倉幕府の「地頭」は、何に関係する役職?
5. 「尼将軍」と呼ばれ、承久の乱のとき御家人に呼びかけたのは?
6. 1221年の「承久の乱」で幕府と戦ったのは?
7. 承久の乱の後、幕府が京都に置いた機関は?
8. 1232年に北条泰時が制定した、武士の裁判の基準となる法は?
9. 「執権政治」とはどういう政治?
⑧ 次につながる・30秒

武士の約束は、いつまでも続く?

将軍は御家人の土地を守り、御家人は戦いで支えた。ところが後に外国の大軍が攻めてくると、この約束が揺らぎ始める。
その理由は次のページで考えよう!

🎯 まちがえた問題だけ、明日の朝に「見ずに書く」。全部を何度も写さなくて大丈夫。

📚 もっと調べたいときの参考資料

歴史の年号や史実を確認するときに役立つ資料です。